2011.3.11
あの日、僕は成田空港にいた。
SAPPOROショートフェストのブースをSXSWに出展のため、Texas, Austinに向かう途中だった。 飛行機は発着出来ず、交通網も遮断された。テレビでは大変な映像が流れてきた。空港の電源コンセントの近く時座り、スマートフォンのTwitterなどで、茨城に住む息子(諒真)の安否を確認。生きてはいたが、実際には死にそうな状況だった事が後から分かった。
成田で、非常用の寝袋で一泊し、翌日オースティンに向かう事に。
本当に大変な状況になっていることは、その後の海外のメディアで知る事になる。
特に、福島第一原発の爆発は、海外で大きく報じられた。
あれから5年。
何が変わったのだろうか?
少なくとも、自分の中の意識は大きく変わった。
after 3.11
これからも、この災害の意味を自分にも社会にも問いかけていく事になるだろう。

